利用者には選択権がなく、首長の命令によりサービスが提供され、これを「措置」といいます。
老人福祉法の施行後、少しずつサービスは整備され、また1968年に国が初めて「寝たきり老人」を調査し、介護の問題に対する国民の意識を高める努力がなされました。
しかし、福祉は税金で賄われていたので財源の確保は難しく、そのため到底ニーズを満たすことはできませんでした。
その結果、次項で述べますように、介護ニーズ、特に施設ケアの大部分は、医療によって提供されるようになりました。
こうした状況を大きく変える契機となったのが、1989年におけるゴールドプランの発表です。
「高齢者保健福祉推進10力年戦略」が正式な名称で、確かに「保健」として訪問看護ステーション等への設置助成はありましたが、国の助成のほとんどは「福祉」に対してでした。
また、「10カ年戦略」となっていましたが、発表当時は10年継続するかどうかはわからず、その目的は、消費税の導入で選挙に敗北した自民党の人気を、婦人票の取り込みによって回復するとともに、消費税による新たな財源が、国民の望む分野に使われることを担保として示すことにありました。
しかし、一時的な人気策に終わる可能性もあったゴールドプランは国民から広く支持され、1994年に目標値が上方修正されました。
たとえばヘルパーの数は、1990年には常勤換算で3万8945人にすぎなかったのが、ゴールドプランでは10万人、新ゴールドプランでは17万人の目標が掲げられました。
また、デイセンターの数も、1990年に1615カ所であったのが、それぞれ1万、1万7000カ所の目標が提示されました。
そして、これらの目標値は1999年に概ね達成されました。
このようにサービスは大幅に拡大しましたが、措置権によるサービスの提供という形態は変わりませんでした。
そのため次の問題が発生しました。
まず、対象者がかつてのような身寄りのない低所得者に限られていれば、判断する余地はありませんでしたが、「介護ニーズのある高齢者」というように拡大すれば、「医師の適切とする医療サービスの範囲」と同様に、福祉事務所の裁量は大きくなります。
ところが、ソーシャルワーカーなどの専門的スタッフの配置はきわめて不十分であり、また福祉事務所の担当者や予算によってぶれる要素が大きく、さらに政治家が介入する場面もありました。
一方、利用者の側にも「福祉の世話になりたくない」という偏見もあり、それを裏づけるように特別養護老人ホームに入所するうえで経済要件はなかったはずですが、利用者の7割は所得が低いために利用料を徴収されていませんでした。
次に、ヘルパーの派遣を受ける際の所得要件などは撤廃されていましたが、「措置」である以上、収入や家族の介護能力が調査され、サービスが開始されるまでに時間がかかりました。
また、利用者にはサービス事業所やヘルパー個人を選ぶことができませんでした。
さらに、サービスの整備・維持費の大半は国が賄っていましたが、各市町村の首長の判断で整備されましたので、地域間の格差が大きかったのです。
このような背景で拡大する介護ニーズに対して、介護保険という新制度ではなく、福祉の枠組みで対応することも選択肢の1つでしたが、却下されました。
つまり、福祉は弱者を救済するためのセーフティネットですので、弱者が優先され、逆にいえば弱者でない人々に対する対応が用意されていませんでした。
しかしながら、2005年の改革には福祉の制度的枠組みの一部が形を変えて復活しており、また2009年の改革ではより広範に復活することが予測されますので、その問題点をあらかじめ整理しました。
欧米では病院は救貧施設から分かれて発達しましたが、日本では主に開業医の診療所から発達しています。
したがって、病院は「医師の仕事場」としての性格を持っており、患者を世話するケアに対する配慮は不十分でした。
また、病院は福祉の施設と比べてコストはかかるが、患者を治癒して社会に復帰させる急性期治療の場である、という認識も必ずしも十分でありませんでした。
ところが、高度成長がピークに達し、保革の勢力が伯仲した1973年において、老人医療が無料化されますと、病院が高齢者ケアの最大の受け皿となりました。
つまり、自己負担があったため、病院に入院することを傭路していた老人がどっと入院するようになり、高齢者人口全体に占める入院患者の割合は、1975年の2%から1990年には4%に倍増しました。
そして2000年には、全入院患者の半数近くは65歳以上で、そのうちの3分の1は1年以上入院していました。
なお、このような入院医療の大幅拡大は、想定されていませんでした。
無料化の意図は、当時3割から5割であった高齢者の自己負担をなくすことによって、外来受診の障壁を低くすることにありました。
ちなみに高齢者における健診の受診率が2〜3割に留まっていた大きな理由は、異常が発見されても受診するお金がなかったことにありました。
こうした過程で「社会的入院」がやがて大きな課題となり、医療保険の財源が実質的に介護に使われていることに対する抵抗感のほか、病院では高齢者に対して必ずしも適切なケアが提供されていなかったことも社会から批判されました。
病院に対する報酬は出来高払いで、当時はケアに対する費用補償も人員も不足していましたので、「薬づけ、検査づけ」の入院医療を招きました。
そして、不足した人員を、患者が雇う付き添いによって補う対応がなされました。
また、療養環境としても、1ベッド当たりの面積は、法的には4.3平方メートル(2畳以下)をクリアしていればよかったので決して満足できるような水準ではありませんでした。
このような現状を改めるために、まず1986年に新たな医療施設として、「老人保健施設」が創設されました。
老人保健施設の目的は、病院と在宅の中間に位置し、機能訓練などを行うことによって、病院からの退院を促進することでした。
そのため、特別養護老人ホームのように終の棲家ではなく、90日以内に退所することが原則でした。
ところが、この条件をクリアするため、入所者の中心は施設と在宅を往復する軽症者となり、また夜間に看護師を配置することも必須ではなかったこともあって、重症者は入所できませんでした。
なお、老人病院から老人保健施設に転換することが想定されましたが、1ベッド当たり8平方メートルという基準をクリアすることが難しいなどの問題もあって、まったくありませんでした。
そこで、1990年に老人病院に対して、診療報酬において、入院料に薬や検査代を包括化し、付き添いを廃止して看護・介護職員を充実させることを条件に、比較的高い点数を設定した「入院医療管理料」が導入されました。
そして、1ベッド当たり6.4平方メートルの面積の確保や食堂などの設置を条件とした「療養型病床群」が1992年に規定され、同基準を達成できた場合には高い点数とすることによって、療養環境の改善が経済誘導されました。
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